Interview

いろいろな角度でまち・団地を”語る”専門家のお話。新たな一面が発見できるはず。

専門家が語る まち・団地への想い

濱惠介さん(建築設計) 後編

ー時代とともに変わりゆく設計思想ー

濱さんに奈良青山団地において団地設計の本質についてお聞きする後編です。前編では奈良青山団地の設計で実践されたことや、こだわられた点についてお話を伺いました。後編では当時の公団の設計思想の変遷についてお話を伺います。
奈良青山団地:1989年に奈良市建築文化賞 町並み賞を受賞) 

前編はこちら

 

濱惠介さん(はま・けいすけ)
エコ住宅研究家、UR都市機構 都市デザインアドバイザー。1968年東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団及び住宅・都市整備公団で、住宅団地・都市住宅の計画・設計等に携る。その間、フランス国立ストラスブール建築・都市計画学校に留学、インドネシア共和国公共事業省の居住部門で技術協力に従事。関西支社建築課長、本社建築部設計課長、九州支社住宅・再開発部長等を歴任。1998~2014年大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所でエコロジカルな住宅と生活に関する研究・発信に従事。その間、大阪大学大学院招聘教授を兼任。

設計思想の変遷
団地設計の考え方は時代とともにどのように変わってきたのでしょうか?

濱:昭和40年代の‘標準設計’全盛の時代には公団に「団地係」という配置設計を専門に行うセクションがあったのですが、そのセクションでは住戸の間取りまで設計する権限はありませんでした。「団地係」では、基本的に与えられた駒を、それも大体はシンプルな直方体の「箱」をどうやって並べたら一番美しくかつ居住性もいいかということに情熱を傾けたので、配置設計に対してもいろいろな流派というか考え方がありました。住棟で囲みを作ったり、ちょっとずらしたり、地盤高さの調整によってスカイラインに変化を付けたりしていました。それが昭和50年代になると配置設計そのものの重要度は相対的に下がってきました。それよりも住戸プランや住棟デザイン等の「商品企画」の方に自分の設計意欲をぶつける対象が移っていきました。団地規模が小さくなり戸数密度が高まることにより、配置の自由度が減ってきたことも理由の1つと考えられます。

この団地を設計された頃は建物の設計の自由度が高くなってきていたのですね。

濱:はい、そうです。「標準設計」を否定し、団地毎に最も合った個別設計をしようという時代になったので、建物設計は自由に様々なものが提案されました。

当時公団の中では、団地や住宅を商品と呼ぶことに対する抵抗感もあったという話を聞いたことがあります。

濱:そうですね。抵抗感があったのは昭和50年代初期です。商品企画という言葉が初めて公団に導入され、住宅を商品と呼ぶことに対して、社内外で批判や議論がありました。ほどなく商品企画というものが皆で共有化されて「ニーズ対応」や「立地対応」、また「需要対応価格」が団地計画を立てる上での基軸となり抵抗感もなくなってきました。商品として売れるということはお客さんのニーズにマッチしたということですから、決して全面的に否定されることではないと思います。「商品」だけの捉え方はよくないですが、「商品性」や「市場性」ということはきちんと考えなくてはいけないことです。

「公共住宅を供給する」という言葉が長く使われてきました。

濱: 昭和30年代に「おにぎり配り」という表現がありました。公団のある大先輩が「食物がなく腹を空かせている人に何を食べたいか聞くのか?先ずはおにぎりを作って配る。これが我々の使命。」と言われたのだそうです。住宅の数が絶対的に不足していた時代の使命感でしょう。


その時のDNAがずっと昭和50年代まで続いたのですか?

濱:DNAというより、建設戸数を確保することが組織維持の根幹、という意識がありました。目標とされた建設計画戸数は当初2万戸、昭和30年代にだんだん増えて大体3万戸くらい、40年代になるとそれがもう5~6万戸くらいになるんです。ちょっと信じがたいけれども40年代の後半には8万戸発注ということもありました。どんどん発注し、そのうち10万戸くらいの未入居住宅や空き家が発生したりしました。

オイルショックもありましたしね。

濱:すっかり状況が変わり、昭和51年、52年くらいにこれは大変だ、ということでニーズに合わなくなった「標準設計」の廃止ということになりました。それから団地毎に個別設計をするという方針に大きく変わりました。奈良青山団地が設計された昭和60年前後は、ほぼそれが定着した時期です。団地の建て替えも昭和61年から始まり、立地がいいのでこれらはほとんど高層住宅で建設されました。

新しい設計スタイルの登場
  
奈良青山団地は同時期に建設された、真美ヶ丘団地等「ニューモデル中層」とよばれる住宅と同じ流れの思想で設計されたものですか。

濱:奈良青山団地はまさに「ニューモデル中層」の流れで設計されたものです。「ニューモデル中層」というのは画一的な設計を脱し、個別の特性を活かして魅力を付加した中層住宅です。もともとは接地型タウンハウスの考えを中層住宅に導入したものです。玄関ポーチを設け、トップライトで真ん中の台所や水まわりに光を採り入れたり、奈良青山のように最上階にテラスや勾配屋根を付けるなどの設計手法があります。最上階・最下階・妻側住戸など住棟各部の特徴を活かすという個別設計の考えは全体に共有化されました。


左)最上階のテラス付住宅 右)階段室から直接テラスへ出入口扉


明るい水まわり
 
濱:奈良青山団地では郊外団地ですので、採光、通風を極力確保するため住戸の3室間口を南面させるプランを主体にしています。バリアフリーの視点からは、ボックス型のように階段室を住棟の中ほどに配置すると、1階の住宅は少しだけスロープで上がれば玄関に入りやすいです。また4戸1住棟のプランについては階段位置を少し工夫すれば将来エレベーターも設置できそうです。奈良青山近くの高の原駅前団地にも1階段室と短い片廊下で4戸の住宅をまとめた4戸1住棟プランがありますが、将来エレベーターを設置することを考えると、このようなプランをもうすこし一般化しておけばよかったと思います。
 
奈良青山団地 南面の採光を大きく確保した間取り

奈良青山団地 4戸1階段室型住棟プラン

 

URの団地は重要な社会資産でもあると思いますが、その価値についてどのようにお考えですか。

濱:やはりURの団地ストックはきちんと作られているから、‘安全安心’という面は誇っていいのではないかと思います。断熱ひとつにしても、これまでさまざまな試行錯誤があり、結露防止等の対策も行われてきました。随分早い時期から屋根は外断熱になっていますが、省エネの観点から全体として断熱性をもっと高める必要があるでしょう。屋外環境が素晴らしいのは言うまでもありませんが、建物自身も昭和40年代のストックであってもそこそこの性能を備えています。壁式構造は特に耐震性が高いです。そのような住宅を全国に展開して、ある程度の所得のある人なら誰でも住むことが出来るというのは、素晴らしいことだと思います。これだけのストックがあることはURの財産でもあるし、国民の財産でもあります。

Photo:Ai Hirano etc

所在地:奈良市青山3丁目1番地 

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